2012年6月9日土曜日

不養生にもほどがある

10年以上前の話だが、
そのころボクは
トテカンチョ病院に月に数回、
外科の昼間だけの外来のバイトに行っていた。
そこには、大学の後輩で
脳外科をやっている岩本先生が、
大学病院の脳外科の医局から出向していた。
彼は医者になって6、7年ほどだった。
トテカンチョ病院の脳外科には、
40代後半の大歳先生が部長でいたが、
脳外科の医者は、その部長と2人だけだったので、
結構忙しくしていた。
しかし、そろそろ、油の乗りかかっている時期でもあり、
手術や検査を一人でできるようになってきて、
仕事が面白くて仕方がないって感じだった。
小さい町の中核病院だったので、
脳外科の患者も多く、
朝から外来をして、昼から手術をして、
合間に検査を入れて、夜は救急の緊急手術に入って、
昼も夜もない生活を続けていた。
ある日、ボクが外来の仕事を終えて、
医局でのんびりとコーヒーを飲んでいると、
岩本先生が疲れた顔で入ってきた。
「お、岩本、疲れてるな、大丈夫か?」
「大丈夫じゃないですよ、ニコラス先輩。
昨日から38℃の高熱が続いてて、
体中、節々が痛いんですよ」
「そんなに熱が高いんやったら、休んだほうがええやろ」
「でも、今日も検査もあるし、
病棟に重症の患者がいるんで、
休める状況じゃないんですよ」
「インフルエンザか?」
「いや、調べてませんけどね。
でも陽性が出ても仕事はしないといけませんからね」
いまでこそ、医者も
熱が出れば、インフルエンザの検査をして、
陽性が出れば、
タミフルやらリレンザやらの抗インフルエンザ薬をしっかり飲んで、
熱が下がるまで自宅安静にするといった対応をしているが、
そのころは、まだ、
高熱が出ても、インフルエンザの検査をしたり、
クスリを飲んだりする時代ではなかった。
ただ、ひたすら根性と気合だけで治していたものだ。
「そうやなあ、医者が2人しかいないと、
休んでなんかいられないよな」

2012年6月2日土曜日

救急には薬物中毒はつきものだ

救急には精神科疾患はつきものだ。
普通の生活をしていると、なかなか関わることがないだろうが、
病院の外来の中でも、
特に救急で外来をやっていると、
世の中には心の病を抱えているヒトが、
よく、まあ、こんなにいるもんだ、と、実感する。
その中でも薬物中毒、
これも救急では頻回に見る症例だ。
うちの病院は精神科はないので、
あまり救急で薬物中毒患者を受け入れることはないが、
それでも、週に2、3人は運ばれてくる。
病院から出されている薬を、
とくに精神科なんかで出されている抗不安薬や眠剤などを
一気に何十錠も飲んで、
意識朦朧(いしきもうろう)状態で運ばれてくる。
そんなことをしてしまうきっかけは
ヒトそれぞれだ。
些細なケンカから衝動的に相手を心配させてやろうと飲むヒト
気分がさえなくて自暴自棄になって飲むヒト
つらいことがあって、本気で死のうと思って飲むヒト
精神科の病気で、判断能力が低下して飲むヒト
ただ、今の日本で出されている眠剤や精神安定剤は
大量に飲んでも、
薬の直接的な作用で死ねるものはない、といっていい。
本気で自殺を完遂するつもりなら、
簡単に確実にできる方法はいくらでもあるのだから、
大量に薬を飲んじゃうヒトは、
本気ではないんだろうなと思うが、
他人のボクには本音のところはわからない。
でも、どちらにしても、
死にたいと思う心の叫びはあるんだから、
それに対しては
真剣に向き合ってあげなければならない、と思う。
思うんだが、なかなかできない。
救急外来で、出会って、その場の処置はするものの、
その人の人生の問題や悩みを長期間にわたって、
診ていくなんて、それは外科医の仕事ではないから、
やっぱり精神科医に任せるしかない。
死にたい思うこと、これを希死念慮(きしねんりょ)といい、
自殺を図ることを自殺企図(じさつきと)という。
手首を浅く切って(リストカット)、運ばれてくる患者は
何度も同じことをくり返すことが多いが、
薬物中毒で入院した患者は、
そんなに頻回に同じことをくり返さないようだ。
自殺企図で大きな事件を起こすほど、
死にたい思う気持ち(希死念慮)のエネルギーを使いきって、
一時的にでも、気持ちが落ち着くことがある、と、
知り合いの精神科の医者が言っていた。